「足の速さ」は才能、遺伝だけではない ボルトに学んだ“陸上未経験者”が挑む「走り革命」
ウサイン・ボルトとともに3か月間トレーニングを積み、和田賢一のスプリント能力は劇的に高まった。
日本の陸上関係者たちは、26歳で「100メートル10秒台」という挑戦を言下に否定した。
しかし、和田には本格的な陸上経験がなかったからこそ、大きなポテンシャルが隠されていた。
未知の理論に遭遇し、新しい部位の筋力を身につけたことで、眠っていた能力が一気に開花したのだ。
ライフセービングの中に「90mビーチスプリント」という種目がある。
20メートルのダッシュを競うビーチフラッグスに対し、「砂浜の100メートル走」のイメージに近い。
ジャマイカへ留学する前の和田は、3年連続して東日本選手権1次予選でヒート(組)の最下位だった。
ところが帰国して再挑戦をすると、東日本を飛び越えて日本選手権で準優勝してしまった。
一方で和田は、陸上選手たちの1本のレースへの集中力にも驚愕を覚えていた。
ジャマイカでは、10秒2のモルディブ記録保持者とよく一緒に走った。
トレーニングでのタイムは、ほぼ変わらない。
「真面目に走ってるの?」と聞けば、「もちろんだ」と言う。
和田は思った。
「もしかして試合馴れすれば、僕ももう少し記録を伸ばせるのかもしれない……」
さらにジャマイカでは、ビーチフラッグスで磨いたダッシュの技術が正しかったことも確認できた。
和田のスタートダッシュを見たコーチが、世界陸上の銀メダリストに言った。
「凄い!これこそがオレの伝えたかったテクニックだ」
それからは周りの選手たちが、自分を見る目も少しずつ変わってきた。
「コイツ、走るのはまだまだだけど、ビーチフラッグスでは凄いらしいぞ、と一目置かれるようになったんでしょうね」
和田が追求してきたスタートダッシュのテクニックは、陸上競技でのトレンドと合致していた。
「簡単に言えば、最初の一歩を地面に擦るかどうかのギリギリで踏み出し、それでいてオーバーストライド(大きく踏み出し過ぎてしまう)にならない。それがコツになります。ここでオーバーストライドになってしまうと、もう修正が効きません」
ビーチフラッグスで第一人者の和田のダッシュには定評があり、ある時、名門大学ラグビー部のストレングスコーチから指導の依頼を受けた。
「ラグビー部でも同じように20メートルのダッシュがテーマになっているんです」
和田は75人前後の部員に1時間ほど指導をして、10メートルダッシュのタイムを計測した。
平均で0.15秒も速くなっていた。
「物凄いですね! 今までいろんなコーチに指導してもらったけど、こんな短時間でこれほどタイムが縮まったのは初めてです」
コーチは興奮し切っていた。
これは和田にとっても発見でもあり、転機を示唆していたのかもしれない。
さらに和田の背中を押したのは、Jリーグ・アカデミーの選手たちへの指導体験だった。
基本的には選手たちを対象としていたのに、40~50歳代の大勢の父兄も一緒に参加してきた。
「若い選手たちだけではなく、そういう年齢になりスポーツをやめていても足が速くなりたい人がたくさんいるのは驚きでした」(和田)
また、インターハイで全国制覇をした高校の陸上部にも指導をしたが、「こんなに即効性のあるトレーニングは初めてだ」と喜ばれ、その後も和田の指導法を継続しているという。
速く走りたい――。
和田は、ジャマイカへ出発する前の自分と同じ思いを抱く人たちが無数に存在することを知り、使命を感じ始めていた。
日本では、速く走れるのは才能や遺伝だと信じられてきた。しかし和田は、実体験を通してそれが誤りであることを知った。
ジャマイカへ行くまでは、誰からも速く走る方法を教えてもらったことがなかった。
日本では幼稚園から駆けっこが始まるが、小中学校へ進んでも何も教わらずに「よ~いドン」が繰り返されるだけだ。
その中から比較的足の速い子が陸上部に入り、コーチから経験的な指導を受ける。
逆に和田のように、陸上部に入らないアスリートは、速く走るテクニックを知らないまま選手生活を終えていく。
「足が遅いと諦めている人たちは、みんな大きな伸びしろを秘めているんです。バッティング練習を一度もしていない人が、初めからセンスがないと諦めている。あるいは、リフティングを一度もしたことのない子が、きっと才能がないと思い込んでいる。そういう状態なんです」
それなら自分が伝道し、日本に「走り革命」を起こしたい――。
和田は、そう決意した。
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