コラム:「小学生スポーツ」の全国大会に見直しが必要な訳
公益財団法人全日本柔道連盟(全柔連)は、同連盟が主催する「全国小学生学年別柔道大会」を本年から廃止すると発表した。
これはスポーツ界に驚きをもって受け止められた。
全柔連の発表によると、「小学生の大会においても行き過ぎた勝利至上主義が散見されるところであります。心身の発達途上にあり、事理弁別の能力が十分でない小学生が勝利至上主義に陥ることは、好ましくないものと考えます」とのことだ。
伝統を重んじ、良くも悪くも「日本スポーツの王道」を行くとされる柔道界が率先してこのような発表をしたのはまさに「英断」と言えよう。
すでに欧米のスポーツ界では小学生世代の「全国大会」を廃止する方向に動いている。
アメリカは、2009年7月に小学生以下の全国大会・ブロック大会を全面禁止し、それぞれの地域に合ったローカルルールを推奨し、競争を重視した競技会を撤廃している。アメリカでは高校レベルでも多くのスポーツで州大会が最高のレベルであり、全国大会はない。
また、イギリスでも全国規模の学校単位のスポーツ競技会はほとんど行われていない。
しかし、日本では、今も小学生対象の全国スポーツ大会が盛んに行われている。
軟式野球では、全日本軟式野球連盟が主催する「高円宮賜杯全日本学童軟式野球大会 マクドナルド・トーナメント」のほか、全国スポーツ少年団主催の「スポーツ少年団軟式野球交流大会」などがある。
硬式野球ではボーイズリーグ、リトルリーグ、ヤングリーグ、ポニーリーグと各団体が全国大会を実施。
またNPB主催の「12球団ジュニアトーナメント」も行われている。
ソフトボールは「全日本小学生男子大会」「女子大会」、
サッカーは「JFA 全日本U-12サッカー選手権大会」、
バレーボールは「全日本バレーボール小学生大会」、
バスケットボールは「全国ミニバスケットボール大会」、
相撲は「わんぱく相撲全国大会」、
陸上は「全国小学生陸上競技交流大会」。
それ以外にも文部科学省が承認した小学校スポーツ大会は、サマーノルディックスキー、グラススキー、バドミントン(2大会)、ソフトテニス、硬式テニス、ゴルフ、綱引き、スポーツクライミング、馬術、アイスホッケー、マウンテンバイク、水泳、スポーツチャンバラ、トランポリン、エアロビック、自転車競技、ハンドボール、フェンシング、剣道、セーリング、グラウンド・ゴルフ、アーチェリーと23大会にのぼる。
なお、全柔連主催の「全国小学生学年別柔道大会」は廃止が決まったが、「全日本少年少女武道錬成大会」(日本武道館など主催)の柔道競技(団体戦のみ)は、存続しているので、小学生の全国柔道大会がなくなったわけではない。
メジャー、マイナーを問わず、およそスポーツと名がつけば小学生の全国大会が行われているような状況だ。
日本ではなぜ、これだけ多くの「小学生スポーツの全国大会」が開かれるようになったのか?
その起源は戦前にまでさかのぼる。
1915年に朝日新聞社主催で始まった「全国中等学校優勝野球大会」が全国的な人気を博したことで、「青少年のスポーツ大会は、新聞の部数拡販に使える」と他の新聞社も次々と野球を中心とした「スポーツ大会」を開催した。
1918年に京都で軟式ボールが開発されると、軟式野球が急速に普及。
1925年には今の小学生を対象にした「全日本学童野球大会」が大阪の寝屋川球場で始まった。
学童野球の選手たちは学校で盛大な壮行会を開いてもらい「郷土の誇り、校名を汚すな」と送り出され、両親に付き添われて全国大会に出場した。大会の模様は主催者の新聞社が感動的な筆致で報道した。
これらの野球大会は1932年、「野球ブームの過熱」を問題視した文部省による「野球統制令」によって中断されるまで続いた。
戦後になって、学校スポーツが再開されると、都道府県、地方レベルの小中学生のスポーツ競技会も再開されるようになる。
そして1970年代後半から、再び小学生の全国大会が開催されるようになったのだ。
日本経済が豊かになり、一般家庭も子供に本格的にスポーツをさせる余裕ができたことが背景にあるだろう。
戦後の全国大会も、ほぼすべてで新聞社が主催者に名を連ねたが、同時に、文部科学省が全国の「スポーツの拠点化」を推進したことで、小学生スポーツの全国大会の多くは、地方自治体が受け入れ団体となっている。
小学生のスポーツ全国大会の意義について指導者、父母に聞くと「英才教育」と言う言葉がよく返って来る。
ピアノ、バイオリンなどの音楽や、囲碁・将棋などの世界では、幼いころから「天賦の才」としか言いようのない才能を発揮する子供がいる。
指導者はそういう天才をいち早く見つけ、次々とステージを与えて育てていく。
それと同様、小さいころから一流の指導者についてスポーツをして大きなステージで試合をすることで、才能をまっすぐ伸ばすことができるというのだ。
筆者は小学校低学年や未就学児の野球教室の取材をすることが多いが、柔らかいボールを投げるようなレベルでも、すぐにまっすぐ投げることができる子がいる。プラスチックバットで鋭い打球を飛ばす子がいる。持って生まれた「才能」「センス」の差を感じる。
だからと言っていきなり大人と同じ練習をさせるのは危険だ。
未発達の子供が過度の運動を繰り返し行うと肩やひじ、腰に障害を負う。時にはその障害が大人になっても残る可能性もあるのだ。
試合日程の関係から、小学校スポーツの全国大会は、トーナメントで行われることが多い。
一戦必勝の勝負を勝ち抜くため、子供に「汚い手を使ってでも勝て」という指導者も出てくる。
過熱して暴力、パワハラに走る指導者もいる。
そういう指導をされて「スポーツが楽しくない」「中学では別のことをやりたい」という子供も出てくるのだ。
一戦必勝のトーナメントの場合、すべての試合でベストメンバーを組むことが求められる。
控えの選手の出場機会が限定される中で、大会中一度も出場機会がなく、声援を送るだけの子供が出てくる。
控え選手で終わった子供も、スポーツをやめてしまうことがある。
柔道の全国大会では、小学生に「減量」を強制した指導者がいたようだが、学童野球では逆に体を大きくするために、巨大な弁当を完食させる指導者もいる。
小学生の段階での「勝利至上主義」は子供の心身に大きな負荷をかけてしまうのだ。
「本当なら親に甘えたい年頃ですが、そんな頃から一流の指導者の厳しい指導を受けて忍耐力をつけるのは大事だと思います。厳しい練習に耐えること、我慢をすることで、子供がぐんと成長します。それから仲間と共に勝利のために力を合わせることを経験することで、社会人になってから、誰からも信頼される大人になるんです」
この言葉は、何人もの少年スポーツ指導者から聞いた。
一見、もっともなように思えるが、「目上の言うことに忠実で、周囲との協調性がある」という人間像は、個性、多様性を重視すべき今後の日本では、すでに時代遅れではないか、と思ってしまう。
実は、さらに深刻な指摘もある。
子供の身長が伸びるのは小学校高学年からだとされる。これを“身長スパート”というが、専門家はこの時期に過度の運動を行うと、“身長スパート”が早くに終わってしまい、身長が伸びないケースがあると指摘する。
この時期の運動は、過度な負荷がかからないように運動強度、時間、頻度などの調整を行う必要がある。また十分な栄養と睡眠が必要だ。
練習漬けの生活を送っていた小学生が怪我や故障で数カ月休んでいるうちに、急に背が伸びることがよくあるが、これは過度な運動を休止することで“身長スパート”が再開したということになる。
小学生スポーツの全国大会で大活躍した子供の中には、その後、体が大きくならず、低迷したり、競技を断念するケースもよく見られるのだ。
「小学生スポーツの大会に行ってごらんなさい。カメラやスマホを構えた親が子供に群がっていますよ。私には親の自己満足にすぎないんじゃないかと思いますよ」
小学生スポーツの現場では大人のほうが盛り上がっていることもあります。
あるスポーツ指導者の言葉だが、確かに、小学校の全国大会では大人のほうが盛り上がっているように思われる。
また全国大会で優勝したり、好成績を上げる指導者は「名将」と持ち上げられることも多い。
身も蓋もない言い方をすれば小学校の全国大会は「子供をだしに使って大人が感動に浸る大会」という見方もできなくはないのだ。
筒香嘉智(現パイレーツ)、森友哉(西武)らを輩出した大阪府の堺ビッグボーイズは、小中学生に「未来を見据えた指導」をすることで知られている。指導者の阪長友仁氏は語る。
「小中学生の時期に、勝った負けただけにこだわっても仕方がない。もちろん試合では勝つためにプレーするのですが、目先の勝利にこだわるあまり、怪我をしたり、将来の芽を摘んでは意味がありません。むしろいろんな経験をする中で、そのスポーツを好きになってもらうのが一番大事なのではないでしょうか? そういう意味ではトーナメントではなくリーグ戦のほうがいいでしょう」
10代で競技生活のピークを迎えるような一部の競技はともかく、柔道だけでなく他のスポーツでも「全国大会の功罪」について真剣に議論すべき時が来ているのではないだろうか?
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