とある人の言葉

とある人の言葉。

『A級ライセンス』

○○が学校の契約解除を文書で通告された翌年。
学校なのか当時の校長なのかは確かではないが、派遣されてきた指導者もどき?がいた。

そのとき、人事は、親に向かってこういった。
「○○や○○と違って、彼はA級ライセンスを持っている。A級ですよ。優秀な資格を持った…」
と。

「○○なんかA級じゃなくてB級だろ。○○なんて…」とも。

 そのA級は、
「リフティング・ドリブルなんかいらない。走りはいらない。それが現代のサッカーだ。」
とこっそり生徒に語り、説明とマニュアルの講釈だらけで汗もかかない練習を、毎回きっちり2時間で終えた。

選手より誰より一番早く練習場から消えた。

A級は、休みの日は、2時間で自分の拘束を終えるために、
学校には来ないで、常に外で弱い相手と練習試合を設定して、こなして休日出勤代を稼いだ。
選手は時間を持て余した。

彼のもっとも優れていたところは、自分の生活を最優先することと、部員とその親にコビを売る能力だった。
だが、だまされるものは少なかった。

「子供が燃えていない」ことから親はやっぱりと理解した。心配もした。

夏の遠征では、つながり深いチームの指導者に
「おたくのBチームとやらせてください。無理ですから」
とお前とこのへんてこな野郎が言ってるぞ。
○○どうなっちゃったんだ。
真反対なことになってるぞ。
大差で負けても選手は練習もしないで走りもしないで、旅館で、はしゃいでくつろいでいるぞ。
とすぐ連絡があり…

そのヘタレぐあいが全国の他校のコーチたちの笑い草になっていた。

戦わないから相手にもならない。
練習を激しくしないから選手もヘタレになる。
個性も磨かれない。
自主練もしない走れない選手になる。

本気じゃない人間がやれば選手が本気になることは難しい。
A級は公然と選手の心の灯や夢に冷水をかけ続け、上には手を揉み続けた。

いつも「合理的」という言葉で自分が楽をすることだけを見ていた。

そいつは、資格を持ったが、
若いころ
自身が燃えて挑戦したことがなかった。

多くの選手はおおむね数日で
「見切った」
その年のCチームは歴代最弱のふぬけも生んだ。
生活もぐずぐずな選手も生んだ。

俺たちは心あるCチームの彼らすべてに言った。
気づいている者には「夢があってここにいるんだろ」
不満を持っている者には「他人のせいにすんじゃない」
ぐずぐずになった者には「自分で抜け出すんだ。夢を捨てたくなければ」と。
もちろん抜け出し、
トップで活躍した選手はいた。
人は結構健全なんだ。 

「資格」で人を測るべからず。
「医の心」医学の社会的使命を持たない医者もいる。

人は「人柄」だ。
指導は「おのれの苦しい成功体験と失敗体験に裏付けられた情熱」だ。
指導者は「育成の知性とポリシー」の体現者だ。

A級は1年もたたず去らざるを得なかったことは当然だ。
そして戦う「諦めない○○テイスト」のCチームが戻ってきた。

そんな昔のA級の話。

なんでこんなのが資格取れちゃうんだと。
いやむしろ、人格や知性ではなく、資格で職を得ようとするヒラメが多いのだろう。
ライセンスと人格はまったくの無関係だから。
人間学と整合性を持つライセンスとか、独創性を認めるライセンスなんか素晴らしいけど…

というとある人の言葉

0コメント

  • 1000 / 1000